DHC olive Virgin Oil オリーブオイルの歴史
 
古代ギリシア時代〜入浴の後に塗ったりマッサージに〜
古代ギリシアにおいてすでに、オリーヴ油をからだに塗ってよくこする習慣があった。オリーヴ油でこすることにより皮膚は温められ、刺激を受け、強い石灰質の水でよくおこる皮膚の乾燥やかゆみを防ぐことができた。ギリシア人は料理によりも衛生により多くのオリーヴ油を使ったと考える人もいる。
古代ギリシアでも古代ローマでもオリーヴ油は闘技者たちから高く評価されていた。闘技者たちは、練習の前と競技の前にからだにオリーヴ油を塗り、筋肉を温め、また皮膚を烈しい陽光と気温の変化から守った。
※「オリーヴの本」(ベルナール・ジャコト著 小林淳夫訳 河出書房新社)より
薬用としてのオリーブオイル
AD1Cの古代ローマの博物学者で膨大な「博物誌」の著者、大プリニウスによると、オリーヴ油はすべての病気に効いた。この著者の処方の多くは後世に受け継がれたが、いずれも基本的にはオリーヴ油を外用するものであった。このように古代においてすでに、オリーヴ油は疲れをやわらげ、からだを温め、寒さに備え、発汗を押さえる薬効があると考えられていた。

※「オリーヴの本」(ベルナール・ジャコト著 小林淳夫訳 河出書房新社)より
日本におけるオリーブの歴史
日本に始めてオリーブオイルが持ち込まれたのは、約400年前の安土・桃山時代だったようである。当時、キリスト教伝道のため来日したフランシスコ派のポルトガル人神父が携えてきたものである。そのため、当時はオリーブオイルのことをポルトガルの油、訛ってホルトの油を呼んでいた。その後、江戸時代の鎖国政策により、人々がオリーブに接する機会は再び閉ざされた。ただ、オランダの医師およびオランダの医学を学んだ一部の蘭方医が医薬として、オリーブオイルを使用していた程度である。また、本県出身の学者平賀源内は日本に導入されていなかったオリーブの木とモガシを間違えて、モガシにホルト(オリーブ)の木と名付けていた。

我が国へのオリーブの伝来は文久2年、及び慶応3年に医師林洞海がフランスから輸入した苗木を横須賀に植えたのが最初とされている。明治になって、赤十字社を興した佐野常民、後に総理大臣になった松方正義、産業振興に功績があった前田正名などの先覚者の尽力により、イタリア、フランスから苗木が取り寄せられた。明治12年にフランスから輸入した苗木は、歓農局三田育種場及び神戸の同場付属植物園にも植えられた。その後、神戸の付属植物園は神戸オリーブ園と改称されて農商務省直轄となり、福羽逸人による管理が好成績を収めて、明治15年には果実が収穫され、我が国で始めてオリーブオイルの採取及びテーブルオリーブス加工が行われた。しかし、いずれも長続きはしなかった。

明治41年、農商務省が三重、香川、鹿児島の3県を指定してアメリカから輸入した苗木で試作を始めたなかで、香川(小豆島)だけが栽培に成功した。以後、試験研究が続けられ、農家に普及するとともに小豆島を中心に香川、岡山、広島などにも栽培が拡がった。しかし、昭和34年の輸入自由化により安価な外国産のオリーブオイル、テーブルオリーブスが大量に輸入されるようになり、国内の栽培は急速に減少し、現在では小豆島を中心とした本県と岡山県の一部に地方の特産物として生産が見られるにすぎない。
なお、最近では樹姿のもつ鑑賞性が見直され、東京以南の温暖地では庭園樹や街路樹等の緑化木として植えられている。

※WEBサイト「オリーブの起源と歴史」より

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